2023ブログ #10矢野俊太朗

はじめに、平素より阪大男子ラクロス部を応援してくださっているOBOG、保護者の皆様、いつも多大なるご支援ご声援をありがとうございます。
今年度幹部を務めました、4回生MF#10の矢野俊太朗です。

振り返ると、僕のラクロス人生は順風満帆とは言えず、たくさんの挫折に心が折れそうになることもたくさんありました。
それでも、僕がここまで成長してこの4年間を最高に楽しめたのも、たくさんの素晴らしい出会いに恵まれたからです。
出会った方々への感謝を綴りながら、この4年間を振り返ろうと思います。なんだか長くなってしまいそうですが、読んでくれたら嬉しいです。

それではいきます。

北海道から大阪に引っ越して最初の半年はずっと引きこもってた。コロナ禍で対面授業が一つもなく、バイトするにも遊ぶにも大阪のことが全くわからなかったから、ただ週18コマの授業をパソコンと向き合ってこなすだけの生活が延々と続いてた。
それでも、自分の趣味に没頭してすごした数ヶ月間は退屈だったわけではなく、就職したら一生週5で働くの怖いなって思ったりして、大学くらいは遊んで過ごそうかなとか思ってた。

期末が終わって、夏休みになり、Twitterでラクロス部の体験会のことを知った。なんかおもしろそうだと思ってグラウンドに行った。
最初からめちゃくちゃ惹かれたわけではなかった。ハルトがなんか怖かったし。

それでも、関西制覇や日本一という言葉に魅力を感じて、自分の可能性の限界を知りたいと思って、入部した。

一年生の頃は、ほぼ全部の試合で点取れたし、調子こいてた。でもめちゃくちゃ虚構だった。
ほぼ全部の得点が右上からの内抜きランシュー。できるプレーはこれしかなかったのに、他を全然練習しなかった。左手に至っては、ショットはおろかパスもランクレもほぼできなかった。

周りにはちょくちょく指摘されてた。でもまじで聞く気がなかった。たしか、タカヒロとジュンジュンが俺にどうやって指摘したら聞いてくれるんだろって困ったことがあったらしい。
それくらい困ったヤツだった。

そんなんだから、二回生でとんでもない挫折を味わった。多分人生で1番苦しかった一年間。
AB分けはずっとずっとB。
結局、このシーズン、AT/MFで一回もベンチインできなかったのは俺だけで、それくらい落ちこぼれだった。
理想とのギャップが辛すぎて、練習に行くのが嫌すぎて、アップのランで毎日吐いてた時期もあった。グラウンドのどこへいても聞こえるAチームの話題が悔しくて、溢れそうになる涙をこらえながら壁当てしてた。
それでも、段々と前を向いて頑張れるようになり、ラクロスを楽しむ心を忘れずにいられたのは当時のBの先輩方とコーチ陣のおかげだった。タカさん、しんぺいさん、ゆゆうたさん、コバさん、たくみさん、川さん。

あと、ハルトとインスタライブめちゃ頑張って関西一のインスタライバーの称号を手にしたのはいい思い出。懐かしい。

そうこうしてたらチームは2部に降格してしまいシーズンが終わった。でもこれが最初の転機だった。
このままだとほんとに何も成長できないで、何の成果も残せないで、試合にも出れないで、ラクロス人生が終わっちゃう。なんか直感的にそう感じた。本気でヤバイと思った。

何月頃だったか。新チームが始まってすぐだったかな。
シュンソクさんがチームに来た。
人生が変わる出会いの一つだったと言っても過言ではない。
彼は俺にとって憧れのプレイヤーだった。彼の姿を見に全学一回戦をたけびしまで観に行くほどだった。そんな彼がコーチになった。
彼は俺に期待してくれた。
技術面だけじゃなく、マインド面で自分を大きく成長させてくれた。
応えようと、必死に練習した。これまでの自分の何もかもを変えて、吸収しようとした。
それでも、シュンソクさんがいる去年1年間も結果を残せなかった。俺が点を取る姿を見せれなくてすごい悔しかった。リーグ戦も入れ替え戦も何もできず、2部残留が決まりシーズンが終わった。

でも、このシーズン、一つ大きく変わったことがあった。
チームに自分が貢献できていると、確信を持って言えるシーズンだった。
2部降格を機に自分がチームにできることを本気で考えた。幸いなことに、自分には新歓隊長という役割があった。
中長期的に強いチームづくりをテーマに、数年後、日本一をとる阪大を自分が作り上げるんだと、自分の中に強い意志が生まれた。そして、自分が勧誘した部員が絶望することないよう、責任もって俺が一部昇格を成し遂げる、という決意も生まれた。
自分が一つ、強くなれた瞬間だった。

じゅんぽさんと関わることができたのも、こうした意志に引き寄せられて、だと思う。
1番の思い出は社会人野球を京セラドームで観戦した後、その近くで理念について勉強しながら飲んだこと。ひょんなことから始めたラクロスでこんな楽しい経験をさせてもらえるなんてって、素直に感動した。
自分も誰かに、ラクロスを通じて幸せを与えれるようになりたいと思うようになった。

迎えた4回生。
幹部になった。

前年度のBリーグ全学決勝で早稲田と試合をしたことがきっかけで、りんたまんさんと出会った。より良いオフェンスが構築できるよう導いてくださった。そして何より、俺らのオフェンスを褒めてくださることが大きな自信を生んだ。

一部にいる大学との練習試合、関東遠征、七帝戦。
関西制覇に挑戦できない自分たちにとって強豪たちと試合ができる機会は幸せな挑戦だった。特に七帝戦決勝では本気の東大とバチバチに勝負させてもらえた。負けてしまったけど、めちゃくちゃいい思い出。

そしてたくさんの出会いに支えられたラクロス人生の中でも、特に出会いに恵まれた一年だった。
毎週のように色んな人が武者に来てくれて対話をする中で、技術的にも、何より人として成長できた。

特に、

井田
天下のKGの超主力で一回生の頃から有名な君とラクロスを通じて仲良くなれると思っていなかった。グラウンドで一緒に練習しながら会話する中で、毎回めちゃくちゃ刺激を受けてた。ありがとう。

かける
どこか通ずる部分がある、チームを変えたいという強い意志に共感したんだと思う。いつも俺の話参考にしてくれるけど、多分それ以上に君から学んでる。いつか同志社vs阪大のファイナル楽しみにしてる。

そして、だーやま、だいすけ、えび坊、ようへい、まさし、、、、
他にもたくさんの人と出会った。
みんな最後まで宮本組を応援してくれ!よろしく頼みます。

長くなったけど最後に

苦楽を共にした幹部へ

インイン
常に俺の先を行き続けてた。下回生の頃からいんいんに追いつこうとすることで俺は上手くなり続けることができたと思う。一流のラクロスプレイヤーであり続けてくれてありがとう。

TAKAHIRO
俺が精神的に大きく変われたのは間違いなくTAKAHIROのおかげ。常に先進的な取り組みを提示してくれたおかげで、俺らはここまで来れた。あとそろそろ致知返すわすまん。

はると
Bで必死にもがいてたとこから主将にまで上り詰めるまで、俺はそばで見てきた。10年に一度の逸材ってよく自分で言ってるけど、あながち間違いじゃないとも思ってしまう。本当に最高の主将になった、ここまでありがとう。最後胴上げさせてくれ!

入部した時は予想できなかった世界が目の前に広がっている。

たしかに、夢に見た関西制覇をかけた舞台ではない。
でも、たくさんの人に支えられてここまで来て、たくさんの人に応援されて立つこの舞台は、想像もつかなかったくらいワクワクするし、最高に楽しいだろうなと思う。

あと一つ。勝てば一部昇格。

4年分の感謝を込めて

#10矢野俊太朗

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この記事を書いた人

大阪大学男子ラクロス部広報部です。
SNSの運営や新勧PVの作成を行っています。

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