【2025ブログ】TR 田邉仁一朗

OB・OGの皆様、保護者の皆様、そして阪大ラクロス部に関わる皆様には、日頃より弊部に格別のご支援を賜り、心より御礼申し上げます。

4年生TRの、田邉仁一朗と申します。

現在教育実習を行っています。4年生が2人も抜けて、TRの皆には負担をかけてしまい申し訳ないです(カツカツの人数でしょうから…)

「先生」と呼ばれるのはいつまで経っても慣れません。ただ、「先生」としての活動を通じて、少しは成長して戻ってこられたら、と思います。もうすぐ復帰します。

本題に入ります。稚拙な文章ではありますが、お付き合いいただけると幸いです。

まず、僕の話をする前に、僕が昔に読んだ小説の中で、印象に残った一節を紹介します。

(物語に登場する、ある登山家の手記です。)

いいか。

やすむな。

やすむときは死ぬときだ。

生きているあいだはやすまない。

あしが動かなければ手であるけ。

てがうごかなければゆびであるけ。

ゆびがうごかなければ歯で雪をかみながらあるけ。

はもだめになったら、めであるけ。

目でゆけ。

めでにらみながらめであるけ。

めもだめだったら、それでもどうしようもなくなったなら、

思え。

ありったけのこころでおもえ

想え───

夢枕獏「エヴェレスト 神々の山嶺」より 一部省略

ありったけの心で想え───とても熱い言葉だと思いませんか。

「私は精神論が嫌いだが、技術を超えた場面で生死を分けるのは、やはり精神だと思う」と言ったのは、どこの自衛官だったでしょうか。彼の言うように、ありったけの心で想うこと、ただ祈るのではなくて想うこと、は思ったより、はるかに大切なのではないか、と最近思います。

ただ、想うこと、それを実践するためには相手に関心を持つことが必要不可欠のように思います(よくわからない人やチームのことをどう想えと!)。ですから、4年生になってからは特に、こっそり、周りのチームメイトは実はどんな人なのだろう、と観察していました。それは、別にチームだけではなく、ラクロスにおいて自分と関わる人すべてに、常にフラットな目線から、その人そのものを見よう、と心がけてきました。残念ながら、その人を理解できたと実感できた経験はあまりありませんが、しかし知ろうとすればするほど、その人、そしてその先にあるチーム、組織に起こったことは、より自分事として一喜一憂できるようになった気がします。

さて、そこで私が伝えたいことは、「狂え」ということです。

また人の言葉を借ります。

幕末の思想家、吉田松陰はこう言いました。

「狂愚まことに愛すべし、才良まことにおそるべし 諸君、狂いたまえ」

狂っている、と思われるような情熱を持って、常識を超えた行動をする人は愛すべきである。知識ばかりを頭に入れて、行動しなくなることが最も恐ろしいのだ、と。

前半、苦しい思いをしてきました。中には、試合を重ねる度に責任と重圧、緊張で押しつぶされそうになってしまう人もいることでしょう。そんな時には、一度そんな状況を取っ払って、ただ情熱の任せるままにラクロスに関わってみるのも良いかもしれません。

何も考えず、ラクロスをひたすらに、狂ったように楽しむことが、案外救いになったり、突破口になったりもするかもしれません。状況なんぞ気にせず、貴方のラクロスをやりましょう。狂え、狂え、狂え!関西の誰よりもラクロスを楽しみましょう。どれだけ状況がつらくても、それだけは忘れてはならない「想い」ではないでしょうか。

寂しいことに、僕たち4年生にとっては、最後のリーグ戦です。毎試合が天王山です。だからこそ、強く想おう。誰よりも、狂おう。そして戦おう。一度も負けたことが無いかのように。

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この記事を書いた人

大阪大学男子ラクロス部広報部です。
SNSの運営や新勧PVの作成を行っています。

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