2025 1年生ウィンター予選ブログ #1 G 黒木健慎

保護者の皆様、OBOGの皆様、並びに大阪大学ラクロス部に関わってくださる全ての皆様、平素よりご支援ご声援をありがとうございます。一回生ゴーリーの黒木健慎と申します。下手くそな文章で1回生らしからぬ文章の長さではありますが、19歳のありったけを書いたつもりなのでぜひ読んでいただけるとありがたいです。

ウィンターは、もう直前。半年とちょっと過ごした1回生チームはもう終わってしまう。「本当にこのまま終わっていいのか」と思い、自分の奥深くにある考えとモヤモヤを吐き出すために今このブログを書いている。

思い出すのは、自分の小学校2年生から高校生までの野球人生。ここで得たのは、圧倒的な天才に対する劣等感だ。長い期間野球をちょっとでも本気でやっていると、自分のような才能のない人間には才能・天才の壁にぶち当たる。

天才っていうのはムカつく存在だ。こいつらは、身体能力とかの天賦の才はもちろん持っているくせに、それだけにとどまらず誰よりも努力をするし、自分の理論があって教えるのも上手いし、自信があって勝負強さも持っている。狂ったように努力していて、スパイクの履き方・スマホの見方・歩き方など日常のすべてをこだわって、すべてを野球にかけて野球と日常は同化していた。

野球はチームスポーツだから、この存在は味方にいれば頼れるし、言葉でも姿勢でもプレーでもチームを引っ張ってくれる。それは同時に凡人の劣等感と恐怖を掻き立てる。一緒に練習をすれば分かる、追い付けない存在だって。

でも、もっと恐ろしかったのは、ほとんどが才能のあふれたスポーツエリートたちの強豪といわれる集団だ。天才ばかりの環境でグラウンドに立つのはきっと覚悟が違うし、積み上げてきた努力も違うし、もちろん実力も違う。そんな環境を時々想像するだけでいつも絶望していた。

こんな絶望やら劣等感やらを引っ提げても、チームに貢献したくて強豪に勝って甲子園に行きたくて何とか食らいついてはいた。それでも、努力をすればするほど、熱意を持てば持つほど、劣等感はより募って苦しくなっていくだけ。野球を始めたときに抱いた「好き、楽しい」という感情はとうの昔に取り残して、高校時代にはほとんど「つらさ、苦しさ」が感情を占めていた。

結局強豪にも勝てず甲子園にも行けず、ボロボロに泣いてはいたがあっさりと自分の平凡な野球人生は幕を閉じた。

大学では普通の学生生活を送りたかった。緩いサークルに入って適当な人間関係を作ったり、旅行に行ったり、一日中漫画を読んだりして過ごす、そんな学生生活の青春を思い描いて憧れていた。憧れというより、ほとんど休みなく野球と受験勉強をしてきた反動かもしれないし、スポーツの才能というものへの逃避なのかもしれない。

部活やサークルの新歓は行ける限りたくさん行った。どれもあまり合わず、楽しくなかった。たしかに自分が思い描いたものはあるような気がするが、何かが違うと自分の直感は感じていた。

でも、ラクロス部は違った。ラクロス部の先輩たちに上っ面じゃない本気で関西制覇・日本一を目指したい熱意を感じた。自然とラクロスという未知のスポーツに魅力を感じていった。入るならここだと思った。

自分自身に問いかける、「本当に大学生でもガチでスポーツをしたいのか。」自分の中にあるプライドの高さと自己愛の強さみたいなものが「勝ちたい。負けたまま終われない。」と叫ぶ。きっとこの感情だけは後悔をさせてはいけない。高校時代までで努力の過程をほめられるのは飽きた。「勝ち」という結果だけが自分を満たす。それに達することができるのが、大学生という期間であり、大阪大学ラクロス部であるはずだ。ラクロスを始めれば、人生をかけた才能を打ち破る努力をしなければいけない。生半可な覚悟じゃいけない。高校時代までの野球人生がそれを証明している。

そして、ラクロス人生は幕を開ける。

ラクロス部に入ってすぐに自分のラクロス人生でも最大の決断となるであろう決断をする。それは「ゴーリーになること」だ。なんやかんやでゴーリーになった(なんやかんやでが大事なのですが)。

ラクロス漬けでの日々はあっという間に過ぎていった。練習、練習試合を経て、気が付いたらサマー予選はきていた。自分の実力的にもチームの実力的にも割と自信はあった。ただ、結果は2連敗、惨敗した。ゴーリーの自分からは崩れ落ちる全員が見えた。この裏で色チームがちゃんと予選を突破して、その後の決勝トーナメントでは準優勝を取っていたのも悔しさをさらに膨らませた。

サマーが終わればすぐに京都カップ予選が来た。京都カップ予選は、全員が自信のない状態で挑んでいた。結果は、1引き分け、1敗。本当にすぐに初の66試合は終わってしまった。また勝てなかった。

別に自分が特段大きなミスがあったわけではなかったけど、確実にチームを勝利には導けていなかった。きっと自分の知っている天才たちはチームをいつだって勝利に導いてくれるような人だった。何もできないのは自分が凡人側の人間だからなのだろうか。今の状態は自分の野球人生と似ている。自分の昔からの弱さが変わっていない証拠だ。サマー後のオフ明けの練習からは自分の実力もあまり伸びず、チームとしても試合にほとんど勝てなくて、すごい苦しかった。

変わりたい。変わらなければ。

ウィンターはもう直前。今一回生チーム全員が生まれ変われなければいけない。このままいけば多分勝てずに終わる。このまま終わっていいはずがない。

“自分を信じない奴なんかに努力する価値なんてない”

これは漫画『NARUTO』の努力の天才マイト・ガイが放つ言葉だ。自分の才能を信じなければ、自分が欲しい能力に向かうことすらあきらめてしまう。自分の能力を上げて成長したいからこそ努力をする。だから、努力をするために自分を信じることが必要だと思う。自分も天才に対する劣等感から自分の才能を信じることをあきらめていたのかもしれない。自分はまだ天才なのかもしれない。

学生スポーツはあまりに短く儚いものだから、決して一日たりとも無駄にしちゃだめだ。その間に他大の天才たちは努力して成長している。だから、自分たちもそれを上回る速度で努力して成長を積まなければいけない。ウィンター直前で自分を信じれず努力できない集団が、当然4年間で関西制覇を成し遂げられるわけがない。だから、ウィンターは死に物狂いで勝ちにいかなきゃいけない。

最後に、自分がブログに書くにあたって先輩のブログをたくさん読んだ。そこで4回生TRの田邊仁一朗さんのブログにすごく共感した。そこには「狂え、狂え、狂え!」と書いてあった。確かに自分が出会った天才たちはみんな狂ったようなオーラと言動をしていた。何かを好きでいることは「苦しい、つらい」というような感情の毒をたいていは持つ。その毒を解消してくれるのが、「狂う」という行為なのかもしれない。狂ったように愛し、狂ったように努力をする。また、熱く狂った奴らの戦いを見たときに、人々は熱狂を感じそこに感動を生む。きっと狂った奴は凡人という枠組みすらも超えていけるような気がする。きっと努力に狂いラクロス愛に狂った集団でなければ、関西制覇は成し遂げられないような気がする。

それならば、凡人の自分よ、自分たちよ、さよなら。そして、

「熱く、狂え。」

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この記事を書いた人

大阪大学男子ラクロス部広報部です。
SNSの運営や新勧PVの作成を行っています。

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