2024 ブログ #3 橋本悠

OBOG、保護者の皆様を始めとして大阪大学男子ラクロス部に関わってくださる多くの方々、昨シーズンは多大なる応援をありがとうございました。’24シーズン香川組の副将を務めました、橋本悠です。

 いざ引退ブログを自分が書いていると、あまりにも濃密で夢のような4年間だったなと本当に心の底から思います。普段の授業課題とは違ってお得意のchatGPTは封印するので、 少し長くなるかもしれないですが、暇な時間にでも読んでいただけると嬉しいです。

 伝えたいことが多すぎるので、目次から。

1.私の四年間のあらすじ

2.学び

3.お世話になった方々へ

1.私の四年間のあらすじ

1年生次

コロナ禍でどこにも行かず、閉塞感を抱えていた自分。謎のキラキラした大学生が話しかけてきた。聞けば『関西制覇』だの、『スタートラインは同じ、日本代表』なんて事を笑顔で話している。冗談半分に聞いていたものの、勝負事が好きな私はどこか流し切れず、思い切って見知らぬスポーツを始めてみた。そこからは疾風怒濤の日々だった。授業もいかずささむーの家の近くの公園で凜太郎と3人でフェンスにシュー錬したり、大雨の中裸足で壁当てしたり。今考えると何やってんねんって思うような行動を連発するくらいに私はラクロスに熱中していた。けれどそんな中、同期が1人、また1人と減っていき、一年生の終わりには元々少ない学年なのに半分程度の人数になっていた。この時期は、ウインター負けてしまったとかそんな思い出が記憶に残らないぐらいに同期が辞めることが辛くてラクロス全く集中出来てなかったな。でも改めて辞めていく同期や残る同期含め、深くコミュニケーションを取って一人一人の価値観や自分の人生の優先順位のようなものはあって、この世界は同じような環境にいてもそれぞれ見えているものは違うって深く再認識できた。

2年生次

この時期、ラクロスがほんまに嫌でした。笑

1on1が元々苦手だった自分は当然上回生練習で本当に全く勝てない、勝てないから少し得意かもと考えていたシュートすら打てない。人数の関係でAチームの26人ギリ入れるか入れないか、みたいな立ち位置で、練習中のボールダウンの時には当時のACの方に、『そんなんじゃA入れないよ』と直接言われる始末。わかってる。自分でもわかってんねん。けど何したらいいねん。ガムシャラに練習した、文字通りガムシャラに練習した。でも、スポーツってそこまで甘くないんだと改めて実感した。Bリーグではいっぱい得点を取れたけど、Aリーグでは出ることすらほとんど叶わなかった(幻の一点でキムセナが本気で喜んでくれ、後でくれたLINEで1人で家で泣いたのはいい思い出)。Bでは活躍できても、Aでは出場すら出来ないという事実が、より実力を明らかに突きつけられているようで、私はBリーグは楽しかったと同時に辛いものでもあった。後ほどの学びにも書くと思うが、今考えると相応の実力で当たり前で、本当にただのど根性ガムシャラだった。この時にもっと頭を使って、上手い選手の真似をしたり、ncaaの動画とか見てみたら俺のラクロス人生変わったんやろうな。でもこれも結局、成長するためにその行動を起こすっていう外部の不快な環境に身を置くという前提や行動力が自分の中にあるかどうかの話で、今もあまり積極的ではないものの、当時の自分はより井の中の蛙だった。

3年生次

4年生の記憶が強すぎてあまり覚えてないけど、悔しい年だったというのは覚えている。ラクロス面ではとことん自分の弱い技術に向き合おうと考えて左手をとにかく練習したり、1年生から継続していた筋トレの成果が少しずつ出てきて1on1も上手くはないけど自分から仕掛ける程度には自信がついていた。でもとにかくここでもオフボールがアホやったり、オンボール面では当時の4年生に及ばずでなんやかんや大半ベンチウォーマーをしていた。でもこの年の悔しさがあったからこそ4年生の最初は頑張れた気もする。

4年生次

23シーズンが終わり、自分が何となく流れで副将になった。誰も幹部活動やチーム運営に関して知らない状態なのに新しいチームはどんどん始まって行き、副将としての自分、プレイヤーとしての自分、OFリーダーとしての自分、来年から社会人になる自分、など様々な側面からのプレッシャーで全部中途半端になってしまったな。この時ハルトさん(時々ゆーぞーさん)にはすごくお世話になりました。就活一緒にやったり、幹部として自分がどうしていきたいのか、幹部を、チームを、自分自身を、どうやって自分なりの形で引っ張っていくのか、とにかく色々話をした。そんなこんなで冬が終わり、春になり色々な試合が入ってくる中、4月のトップリーグでは同志社に負けた。大経に引き分けた。全然試合で点が入らなかった。エースであるべきはずの自分が全く点が取れなかった。関西制覇は現実的ではないのでは?なんて意見も小耳に挟んだ。でも私はどうしても目標を妥協したくなかった。Mtgで改めて自分の弱さを認識し、その弱さに向き合うヒョロヒョロ同期ロングの決意、『俺はプレーで引っ張っていく』一点張りの主将の良い意味でのバカさ、一緒にいる時に負けたくないと泣く同期の想いの強さ、こんな不甲斐ない幹部についてきてくれる後輩、OB訪問で悠の代が楽しみと言ってくれた元コーチの期待、先輩が残してくれた1部の舞台。全てが原動力になっていたし、チームビルディング的には間違っていても、どんな時でも関西制覇という言葉と自分の想いだけは周りに発信し、実現しようと努めた。ただ、実力不足だった。チームビルディングの面でも、自分はあまりにも幼稚で、壮大な計画は持ち合わせても実行段階になると何故か面倒なってしまったり、プレーの面では最後の最後まで決め切りが悪く、何度もチームを敗北に導いた。1年間すみませんでした、でもこれが俺の実力です。

入れ替え戦が決まった瞬間、私は何をしたら良いのか分からなかった。もちろん、ラクロス自体の楽しさや、先輩たちが残した舞台を後輩のために受け継ぐ、とか、最後は勝って終わりたい、とか。全て自分には全く響かなかった。しかし、入替戦が決まってからのチーム全体のコンセプト、challengerとど根性グラボ、切り替えは自分にとってすごく本質的にしっくりきた。練習に行くための大義名分は自分にとって無くても、毎回毎回の練習で100%の力を出して、出来てないチームメイトがいたらそれを求めて、後輩からもそれを自分に求めてくれる。ある意味で自分の限界に挑戦するというような楽しさがそこにあった。おそらく、私にとってスポーツ、そして人生の醍醐味は毎日自分の100%出し切る、限界に挑戦すること。何も、世の中の人全員が目指すような素晴らしいものや、認められるものを掲げて努力する必要は無いんだと私は信じている。それ故、入替戦が決まってからの私はハッキリ言って幹部としてチームを纏めるといったようなことはあまり出来ていなかったが、本来の幹部としての役割である、[チームで一番あらゆることを徹底する人]という面では、新しい目標を立て、限界に挑戦したり、チームの決まりごとを守ったり、何より何にも縛られずにラクロスを純粋に楽しむために声を出したり、といったことは出来ていたし、結果、チームを引っ張れたと考えている。ま、何よりさっきも書いた通り、みんながお互いに要求し合いながら突き進んでいく感覚が楽しく、自分にとって耳が痛いことを言われる環境がある意味心地よかったな。

どの学年のチームも好きやったし、それを作ってくれた各代のみんな、本当に有難う、

大好きです。

 2.学び

4年間のあらすじを読み解けば、おそらく鋭い人なら3つほどこれでしょ、と考えて頂けると思う。これからの自分の人生のためのバイブルにもしたいので、分かり易く書き残して置こうと思う。大きく分けて、3つある。『仲間を大切にすることがいかに重要か』『自責思考の重要性』『理想を掲げること』。どれも密接に絡み合い、分類することなんて出来ないから、少し話が被ることもあるかも。

1つ目の『仲間を大切にする』こと、私自身、分かっているフリをしていたし、みんなは分かっているフリをしている。仲間を大切にする、とはどういうことなんだろう?僕なりの解釈としては、相手と誠実に向き合うこと、である。香川組に、チームメイトに対して、チームに対して心の底から誠実に向き合った人間はどれほど居ただろう。相手の顔色を伺って言うべきことも言わず、まぁいいか。とほったらかしにした人はどれほどいただろう。全てを伝えることが誠実とは言わないし、チームに何かを言うことは少なからず勇気がいることだと思う。けれど、同じ目標を共有した仲間に対して、自分がそれを伝える事で目標に近づくと思うことを言わないのは私は不誠実だと考える。もちろん、言葉選びは本当に大切なのは理解しているが、少しぐらい腹の底から直感で出た言葉を素直に口に出してみて欲しい。

二つ目の、『自責思考の重要性』というのは言うまでも無く、自分がやってやるという意志のことだ。阪大ラクロス部は、良くも悪くもエゴイストが少ないと感じる。これは色々な要素から成り立っていることだとは思うが、強いチームや、結果を残している人間は少なからず表に出さずともメラメラと信念のようなものが有る気がする。わざわざ国公立の大学に猛勉強して入り、勉強ではなくスポーツで何がでかいことを成し遂げようと決意して入っている部員が大半だと思う。なのに、その想いをぶつけ合う本音であったり、プレーに出している人が少なすぎたように思うし、誰かがやってくれるやろと他人任せな人も居たはずだ。もちろん、それを可視化できるようにしたり話す場を設けたり、伸び伸びプレーできるように心理的安全性に配慮するのが幹部や上回生の役目とも思うが、それ抜きにしても感じる場面が少なかったように思う。阪大ラクロス部という60人前後のチームで、本気で自分の想いを周りに伝えれば1人の力でさえすごく影響力を持つような環境で、縮こまってしまったり怠けてしまうのはあまりに勿体無いと感じる。部活動は社会の縮図、なんてよく言われるけど、この部活動はその仕組みさえ自分で整えていける環境で、凄く面白いものだしそこにやりがいは必ず有る。逆に言えば、チームや自分がうまく行っていない原因を他人に責任転嫁して、誰かが環境を変えてくれることを期待している人が大半では何も起こらないし、チームの停滞は衰退であろう。私の尊敬する某ラクロッサーがそう言っていた。。私はそう思ってこの部活動でチームを創っていく一年にしようと思っていた。また、ラクロスのプレー面でも誰1人怠けていては点が取れないし、フィールド上にいる10人全員が得点を考えていないと本当に点は取れない。昨年はその意識があまりに薄く、自分自身あまりにも短絡的であったせいで点は取れなかった。3つ目の『理想像を掲げる』ことというのは、1年を通して私は何度も同じことを繰り返し言ったと思う。チームの理想像を明確に言語化し、自分自身もどんな人間やラクロスプレイヤーになりたいのかということを考え、緻密にその理想像に向かって対話と努力を重ねる。今年のスローガンである、『We Will Rock You』。私はこれが決まった時、自分がシーズン初めに掲げた自分自身の理想像と重ね合わせた。私は目の前の相手や自分自身に対して誠実に、絶対に信念を曲げずに戦い抜くという理想像を持ち、自分自身のプレーや言葉一つで目の前の相手の心をRockしてやろうと思った。ある意味いいスローガンだったな、ささむーありがとう。もしもう一度あのスローガン決めの場面に戻るなら、スローガンはWe Will Rock You.サブタイトルに〜ど根性ノ介〜を添えると思うな〜。

3.お世話になった方々へ

 まずは同期のみんな、本当に有難う。有難うしか言葉に出ません。

ささむー、いつでもシュー練付き合ってくれて有難う。いつ俺がラクロス嫌になって飲み誘っても来てくれて有難う。出会った初日にカレーを家に食べに来てから始まった関係、4年間めちゃくちゃ楽しかったな。幹部mtgで激詰めしたりしてごめんな、プレイヤーとして思い通りにいかない4年間だったかもしれへんけど、俺はささむーがいてくれたから頑張れた。

りんたろう、いつも慕ってくれて、優しさをくれて有難う。俺が挫けずいられるのはささむーやりんたろうの優しさがあってこそ、自分が自分でいられました。入替戦前に本気で心の底を打ち明けてくれる機会をくれて、改めて俺のこと良く見てるんやなーなんて思ってちょっぴり嬉しくなったし、りんたろうなりに色んな悩みを抱えてるんやなと思って気が引き締まった。いつも話聞いてくれるからたまには凜太郎から相談してくれても良いよ‼️

慶仁郎、改めて1年間キャプテンお疲れ様。シーズン初めとかいつも何考えてるんやとか色々意見合わんくてぶつかり合ったけど、ラクロス下手なくせに文句ばっか言う俺に付き合ってくれて有難う。慶仁郎には言ってなかったけど、少しずつチームに対する想いが変化して行ってるのを俺は1年間感じてたで。いつもラクロスに関しては耳が痛いこと言ってくるし、たまに空気ぶち壊すぐらいエグいイジリし出すし、マクドかトリキしか食べてないやろうけどラクロスに対してクレバーに、ストイックに向き合うお前を尊敬や。

りゅうま、mtgで全然論点と違うこと話すんの、もう辞めような。でもそんなコミュニケーション下手なところも、俺は愛してるで。出会った最初はほんまにキモくてキモくてしゃあなかったけど4年間経てばこんな愛くるしく思えてくるんやな。まだ俺と2回生の時に天ぷら2人で食べた話後輩にしてるって聞いた時は流石にドン引きしそうなったけど何やかんや俺のこと好きやな、有難う。

あいちゃん、スタッフ全然おらん中、練習とんでもなくスムーズにしてくれて有難う。幹部として一緒にやっていく中で、色々チームとかスタッフに対する思いや自分の中で芯のようなものを強く感じて、改めて良い仲間に巡り会えたなと思ったで。お疲れ様、有難う p.s. 話ちょっと長いかも

山中、自分とは正反対の性格で、俺がチームに対してこうしたら良いんじゃねって思うことを全く別視点からアドバイスくれたり、意外とチームに対してめちゃ強い想い持ってたりで、助かりました。テーピングもしてくれてありがとう、山中のお陰で最後までなんとか走れました。

次に、ブラザーのみんな。うえたく、せいすけ、しゅんすけ。3人ともほんまに可能性に満ち溢れてる!教育らしい教育はしてあげられなかったし、むしろ俺が学ばせてもらってた。代表選考会いったり、東京武者行ったり。みんなが自分の殻を破ろうとしてる姿を見て、俺も背中を押された場面がいくつもあります。3人とも自分を過小評価しがちやから、もっと自分に自信を持って、正しい方向性の努力を凄まじい量でやりきって、成長してくれ!俺はストイックさだけは一番あると思うから、社会人になってもそれを背中で見せれるように頑張るからみんなも頑張ってくれ!そして3番を有名にしよう!

ハルトさん、4年間本当にあざした。気付いたら3年間も同じアパートで住んでるし、何でも話せるし、ほんまにラクロスに対する姿勢とか思考力はガチリスペクトでした。だからこそ一緒にプレーできて、コーチを頼んで、本当に良かったです。何度も幹部として弱気になってしまう僕や、ATとして技術不足な僕を見捨てずに愛を持って対話してくれて有難うございました。東京でもかましまくってビッグになりましょう。

後輩のみんな、時にはぶつかってくれて、俺について来てくれて有難う。不甲斐ないリーダーやったけど、楽しかったです。

みくも整骨院の方々、感謝です。中川先生と三雲先生の腕がなかったら本当に四年生のリーグ戦は出れていないと思います。また是非とも飲み会で思い出語り明かしましょう🍻

家族へ。22年間有難う。どんな遠くでもいつでもスポーツの応援に来てくれて、4人兄妹を分け隔てなく愛してくれる両親、何故か慕ってくれて素晴らしい個性がある兄妹たち。家族のおかげで今の自分があります、有難う。

他にも感謝を述べたい人は沢山いますが、長くなりすぎるのでこれくらいにしときます。でも、これまで関わってくれた阪大に限らずラクロッサーみんな、本当にありがとうございました。

短いようで長かった、長いようで短かったラクロス部生活、終わり!4年間連続で入替戦経験したプレイヤー、あんまおらんやろうなぁ〜。

読んでいただきありがとうございました、1文字も消さずに書いたのでとんでもない分量です。社会人で何をするかは未定ですが、とりあえず自分らしく、信念を持って、自分の周りの人々を大切に、素直に生きていきます!

阪大ラクロス部、ありがとう!!

We Will, We Will, Rock You.

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この記事を書いた人

大阪大学男子ラクロス部広報部です。
SNSの運営や新勧PVの作成を行っています。

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