はじめに、OBOG並びに保護者の皆様、平素より阪大ラクロス部を応援してくださりありがとうございます。
今回のブログリレーのトップバッターを任されました、1回生Gの守護神おっしーこと大井拓都と申します。 1回生チーム発足当初からの目標であった3冠が消えた今、普段はあまり口に出さない自分の思いを正直に書こうと思います。
4月の新歓期。煌びやかな大学生活を夢見てキラキラサークルを探していた僕に、お世辞にも華やかとは言い難い格好の男が話しかけてきた。タダ飯が食えるという文言に釣られてグラウンドへと連れてかれた。今思い返すと自分が卑しい人間で良かったと心から思う。
同期(主にこうが)の熱い思いに心を動かされた。当初に思い描いていた青春を放り投げてでもこいつらと日本一を目指したくなった。そういう思いで(ボート部を辞めて)ラクロス部に入部した。
6月の頭に僕のラクロス人生を決定づける決断をした。当時憧れていたロングからゴーリーに転向した。この時誘ってくれた先輩ゴーリー(ほぼ同期)のゆうとさんやブラザーのはるきさんには感謝してもしきれない。
そこからのラクロスは信じられないぐらい楽しかった。左手を使わなくてもいいし、ダッジをきれなくてもいいし、何よりスタッフにキャーキャー言われて気分がいい。チームの核となっている自覚はあったしサマーではベスト7も取らせてもらった。
傍から見ると順風満帆なラクロス人生そのものだったと思う。だがそれは「傍から見ると」である。僕にだって思い悩んだ時期もある。要望が多かったのでその事についても触れようと思う。
京都カップの予選を1位で通過し、2冠が見えてきた時期。その雰囲気に置いていかれるように僕はモチベーションを保てずにいた。予選が終わってすぐの同志社・KGとの練習試合では僕のミスで失点した。みんなは僕を責めなかったけどいっそのこと責めてくれるほうが楽だとさえ感じていた。自分だけ成長できていないように感じる一方で日に日に上達する同期ゴーリーのやまたくの存在に焦りを感じていた。練習後にグラウンドで泣いた日もあった。これはさすがに自分でもびっくりした。自分がこんなに思い詰めてるとは思わなかった。
ささむーさんが居なかったらこんなに早く立ち直れなかったと思う。本当にありがとうございます。
まあそんなこんなで京都カップを優勝できた。このまま3冠もいけると信じて疑わなかった。信じられるだけのことはしてきたつもりだった。だけど現実はそんなに甘くはなかった。
思い出すのはウィンター第3戦。試合終了を告げるホイッスルが鳴ったとき不思議と涙は出なかった。夕暮れを背に喜ぶ同志社も、膝から崩れ落ちるDFも、バウの嗚咽も、全てが夢のように思えた。ついさっきまでは一緒に笑っていたプレイヤーやスタッフが泣いている姿なんてとてもじゃないが現実として受け止められなかった。
サマー・京都カップを制覇して得た根拠の無い自信は粉々に砕かれ、予選敗退という事実だけが残った。煌びやかに思われた僕たちの1回生チームはこうも惨めに呆気なく幕を閉じた。
こうして僕たちの目標は消えてしまった。
だけど僕たちのラクロス人生が終わった訳じゃない。リーグ戦、ファイナル3、全学、日本一。どこまで行けるか分からないけど、みんなとならどこまでも行けると信じてる。もう誰かが泣いている姿を見るのは嫌だ。3年後は全員で笑おう。俺が日本一に連れてってやる。俺がみんなを笑わせてやる。
p.s.
1回生チームに心残りがあるとすればウィンターにフェニックスが出れなかったことだ。フェニと同じコートに立って戦えなかったことがすごく悔しい。どんな形でも良いからまた一緒に日本一を目指そうや。
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